【メルカリ】古い本を売るとき注意すべきこと

古い本 ネット
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メルカリで古い本を売るときは、注意が必要だと思います。購入者との間に、商品の状態をめぐる食い違いが生じやすいからです。今回は、どういう理由で食い違いが起きるのか、またそれに対してどう対処したらいいのかについて考えます。

参考エントリ

私の経験

30年前に出版された本をメルカリで売って低評価をつけられたことがあります。評価コメントがなかったので理由は想像するしかありません。

破損や汚れはありましたが、かなり細かく写真と言葉で説明し、値段も送料込みの数百円でした。状態が良ければAmazonの古本だと2000円以上する本です。いつも通り丁寧に梱包して、速やかに発送しました。

考えられるのは、実際の本の状態が、購入者のイメージより悪かったということです。私からすればできる限り説明したつもりだったのですが、イメージの違いならどうしようもありません。

別の低評価は、50年前の本でした。半世紀前の本にしては状態の良いものでしたが、Amazonの古本価格以下の送料込み数百円で出品していました。評価コメントで「説明になかった汚れがあった」と指摘されました。

指摘された汚れは、私の記憶にはありませんでした。出品前のチェックで見落としたのかもしれませんが、取引完了後では確かめるすべもありません。ただ、言い訳になりますが、指摘された汚れは、普通に読んだりチェックしたりした際に気づかない程度のものだった、ということは言えると思います。

これらの経験で感じたのは、古い本という商品に対する、私と購入者の考え方の違いです。

本は物か情報か

本には物と情報、どちらの側面もあります。ネット時代になって、電子書籍という情報だけの本も出現しました。

私はどちらかというと、本は読めればいいというほうです。もちろん物としての愛着もあるからこそ、捨てるに忍びなく思いメルカリに出品しています。

もしかしたら、私に低評価をつけた購入者は、私よりも物としての本を重視する人だったのかもしれません。だから本の状態の評価が私より厳しくなるのではないでしょうか。私の説明やチェックの基準は、購入者の基準より低かったということなのでしょう。

メルカリはすべてを物として扱う

下に貼ったのは、最近話題になった勝間和代さんのブログ記事です。本の著者としては当然あり得る反応だと思います。一方、メルカリ(メルペイ)側のいっていることも、メルカリのユーザーなら特に、あまり違和感を持たないのではないでしょうか。

「新しい本を借りるようにして読む」というのはすでに、本・CD・DVD・ゲーム専用のメルカリ姉妹アプリ「メルカリ カウル」(現在はサービス終了)でも盛んに推奨されていました。

ここでこの問題に深入りはしませんが、作家である勝間さんの違和感は、本を服や雑貨と同じ「物」として扱うメルカリの本質に対する批判でもあります。そして古い本を売るときに生じる売り手と買い手の齟齬も、この本質に根ざしている気がしています。

中古の商品を評価する基準

さて、中古の商品を評価する基準には「新しさ」と「希少さ」があります。それぞれについて少し詳しく考えてみましょう。

新しさという評価軸

中古のモノを評価するいちばんの基準は、どれくらい新品に近いかです。この新しさという評価軸は、時間経過ではなく「使用によるダメージの程度」を問題にしています。

新品の市場価格を基準に、ダメージに比例して価値が減じていくイメージですから、この評価軸は誰にでもわかりやすいものだといえます。

メルカリでも、出品の際に商品の状態(汚れや傷み具合)を「新品、未使用」「未使用に近い」「目立った傷や汚れなし」「やや傷や汚れあり」「傷や汚れあり」「全体的に状態が悪い」という6段階のどれかを選んで明示しなければなりません。それに加えて、多くの出品者は写真と文で商品の状態を細かく説明しています。

希少さという評価軸

希少さという評価軸では、希少である・レアであるほど値段が高くなります。この希少さという評価軸は、新しさという評価軸からは独立しています。たとえば骨董・ヴィンテージ物の世界では、「使用によるダメージ」が付加価値になる場合があります。

この評価軸の厄介なところは、基準が曖昧だということです。希少さというのは需要と供給のバランスで決まりますが、メルカリで取引される中古品は、株などと違い需給を数値化することはできません。またメルカリには、骨董屋や古本屋などの取引を仲介する「目利き」がいるわけでもありません。

オークションであれば取引自体がある程度需給バランスを反映するでしょうが、フリマアプリであるメルカリには、そういう力学も働きません。売り手・買い手がそれぞれに検索して、なんとなく相場が決まるというのが実際のところだと思います。

つまり、メルカリおいてこの基準軸は、多分に主観的なものです。それが売り手・買い手の価値評価に齟齬をもたらす最大の原因ではないでしょうか。

主観がもたらす齟齬

古い本を物として見たとき、その価値の大部分は「希少さ」によるものです。しかし、それは主観的な価値です。ということは、私からすれば希少でも購入者からすればそうでもない、ということが起こりえます。

その差がストレートに値段に反映されているときは、取引自体が成立しないでしょうから問題がありません。厄介なのは、価値判断に大きな差があるにもかかわらず、値段に折り合いがついて取引が成立した場合です。

冒頭の例でいえば、私は本の価値からすればかなり安い値段をつけたつもりでいました。しかし、購入者の判断では妥当な値段か、少し高めの値段だったのかもしれません。

もし安い買い物だと感じていたのなら、多少のイメージの違いや説明にない汚れという不満は、価格差に吸収されていたのではないでしょうか。購入者にとっては、たとえ数百円という値段でも安いとは感じられなかったからこそ、小さな不満が低評価になってしまったような気がします。

結論:古い本は安くしてはいけない

冒頭の例での私の反省点は、古い本の値段を、自分の価値判断に比して安くしすぎたということです。安いほうが売れやすいだろうというのもありましたが、上述のように、安ければ購入者の予期しない不満も多少は吸収してくれるだろうという、リスクヘッジ的な気持ちがあったことも確かです。しかし結果として、まったく逆のことが起こりました。

メルカリの性質上、商品の「物」としての「新しさ」に重点を置く購買者は多いと思います。そういう購入者に低評価をつけられないように、プロフィール欄や説明欄に「過剰」「神経質」とも思える長文の説明や注意書きを置いている出品者も見かけます。

しかし、いくら言葉の数や写真の枚数を増やしても、主観の齟齬自体がなくなるとは思えません。特に、30年前50年前の本の状態を完全に記述するようなことは不可能です。メルカリを続ける以上、思わぬ低評価をもらうリスクからは逃れられません。

私の場合、最近は古い本を絶対に安くしすぎないようにしています。自分の価値判断をストレートに値段に反映させようということです。売れる頻度は一気に下がりましたが、これで低評価をもらうなら、まだ諦めがつきます。

考えてみれば、売りたいがために値段を下げるのは、この本にはあまり価値がないと自らメッセージを発しているようなものです。自分の価値観に見合った値段をつければ、似たような価値観を持つ購入者にめぐりあう確率も高くなる気がします。

ということで、もうしばらくはメルカリライフを続けたいと思っています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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